本屋でぶらぶらしていたら、平積みになったこの本に出会い、迷わず購入し、帰りの電車から読み始めました。
『人間の建設』 小林秀雄×岡潔
対談なので読みやすさはありますが、文字の奥に広がる世界が広く読み解くことはなかなか困難でした。何しろ岡潔の数学の話。巻末の参照や広辞苑、ネットを使いながら知らない言葉を調べていくわけですが、初めて知る数学の世界はまるで曼荼羅のようで、知らないことに関する畏怖の気持ちでいっぱいになりました。
実は岡潔の存在を教科書以外ではまったく知りませんでした。
googleで【岡潔】と入力すると予測変換のひとつめが【岡潔 奇行】とは。この本を読んだあとにその奇行の数々を読みました。奇行とはまさにこのことと納得することばかり。曰く、岡潔は雨靴しか履かなかったとのこと。革靴は歩くと頭に響くが、雨靴はゴムだから頭に響かず思考の邪魔にならない。
作中、私は小林秀雄の遠慮気味な言葉の選び方に少し違和感をおぼえていたのですが、これなら納得。おそらく小林秀雄は革靴で岡潔のもとを訪れていた。そして〔私の勝手な想像ですが〕小林秀雄は自分の選んだ革靴に誇りを持っており、もし歩いて音が頭に響いてもそれは思考の邪魔をするどころか助ける役割を持っていたのではないか。
そんなふたりの対談なので最初は遠慮するでしょう。しかし途中で岡潔がトルストイを悪く言うと、小林秀雄ははっきりと意見を述べる。そこに小林秀雄の芯を感じました。
表題は本に書いてあったコピー
少なくとも私が知る範囲では、最も知的でした
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2 comments:
こんにちは。ワタナベです。
小林秀雄がその日革靴を履いていて云々というくだりがおもしろかった。トルストイのところはあまり覚えていないけど、岡潔がこどもの成長について語った独特の持論に対して、小林が「現在の児童心理学みたいなものが何を言っていようと、わたしはあなたのインスピレーションを美しいと思う」というようなことを言っていたあたりが、おれは印象に残ってます。
だけどこういう知性の在り方をみるとき、いつも少しだけ怖さも感じる。高級な知性が、いったいどれほどの正確さで物事を捉えているかなんて、ほんとうには誰にも証明できないからね。言い切ってしまうことの清々しさは、あくまで「文学」であり、「雑談」であってもらわなきゃいけない。そういうものが「政治」や「(公的な)教育」へ首を突っ込んでいかれると、いやな感じがする。帯にもあるとおり、雑談なんだからまあいいんだけど。
近頃ニール・ヤングの'helpless'という曲にやられています。ぜひ聴いてみて。
Watanabeさん
コメントありがとうございます!
その怖さ、少し理解できます。
「餅は餅屋」とよく夫に言われるのですが、やはり教育には教育の専門家がいて、その仕事を研究して実践している。
知識人の意見は重要なスパイスだと思いますが、やはり根幹となるスープは専門家に行ってほしい。
それは今の日本の政治に在り方にも通じて、政治の教育を受けたことのないような“タレント候補”が当選する世の中になってしまった。怖いことです。
この本での岡潔の意見は雑談の範疇で、ひとつのスパイスなのかな、と思います。
ニール・ヤング、ずっと前にフジロックで生の歌声を聴きました(自慢です)
helpless、早速聴いてみたいと思います。
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